英語と敬語

友達と話してる時に「敬語って面倒臭いよね、英語って敬語ないから楽だよね」って話になった。確かに英語には「です。」とか「・・・いらっしゃる・・・」といった敬語という敬語がない。普段使い慣れない敬語を繰り出す必要がない英語はその点、いつも通り話していればいいから楽だ。私は自分の下手な敬語に対して、いつもハーフだということを言い訳にして逃れている(すみませんでした)。

正確に言えば英語にも敬語的な表現はある。例えば、”Could you…”のような表現だ。ただ、普段あまり使わない。アメリカの他州でどうなのかはよく知らないが、カリフォルニアでは周りの人の会話を聞いててもあまり聞くことはない。イギリスに行けばもっと”正式”な英語の用法があるのだろうが、こっち(クパチーノ、カリフォルニア)では聞かない。

じゃあ「こっちの人は周りの人に敬意を表してないのか?」といったら、それは違う。敬意は言動と行動で表すのだ。単に表現の仕方が違うのだろう。アメ人は会話においては「丁寧さ」<「友好的かどうか(Friendliness)」である。だから下手に丁寧な言い回しをされると距離感を感じるし、堅苦しく感じるのだ(だからってボスに対して”What’s up?!”は厳禁)。逆に日本人で目上の方と話すときにfriendlyに話したら「ならん。」と思われてしまうだろう。丁寧すぎる応対をされたときのアメ人が感じることと同じである。どこに重きを置くかが違うだけなのだ。

形式上の丁寧さを取るか、friendlinessを取るか。文化の違いであり、正解等ないが、私自身は後者の方が個人的に圧倒的に楽で、情報交換の際に有益に感じる。思ったことを、ずばり、言える。だから日本人の年下の方にも敬語を求めないし、むしろ互いの合意があれば(特に、社内コミュニケーション等)敬語は徐々に廃止していくべき物だと思っている。本当の敬意というのは自分の行動で示すべきではないのか。

結論:俺にあったときはみんな敬語じゃなくていいんで(・∀・)ノ

PS:「丁寧語」、「尊敬語」、「謙譲語」といった敬語は敬語で言語的な表現美は感じるが、形式的な敬語が無くても回る社会が有ることを考えると、社会を営む上での実用価値はないのじゃないかと考える。

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