自信に対する考察

中学の頃は自信過剰=ナルシスト、という短絡的な物の見方をしており、「自信過剰」に対して過剰に反応していた。だから常に自分のスキルを低く見積もり、常に自分自身にあまり自信がなかった。

今はアメリカに来たこともあって、自分に自信が無くてはいけない世界に放り出されたから、自分のスキルも自信を持って人に言えるし、それなりの努力もしてきた。が、アメリカにいると根拠のない自信で満ち溢れている人がゴロゴロいるので、その度に彼らの自信がどこから来るのか不思議に思っている。根拠のない自信を持ってるやつのほうがセールスなんかは上手くいくから、とても羨ましいものである。

「自信」って、元をたどれば、サバナで天敵と遭遇したときに、攻撃するか逃げるかの判断をするためにできたのではないだろうか。自分の力と相手の力を瞬時に比較し、攻撃するか逃げる体制を取るかを決めるために。そこで自らの力量を見誤った場合、大切な獲物を逃がしてしまうか(自信のなさ過ぎ)、食われるか(自信過剰)で、どちらも生存競争上非常に不利な結果になってしまうので自然淘汰の中でそのような感覚ができていったというわけだ。(注:筆者の憶測)

この生き残りをかけた潜在意識的な背比べは、現代社会においても行われ続けているわけだが、一つ大きな流れとして筆者が感じるのは、「自信過剰であることのリスクが、相対的に低くなってきているのではないか?」ということだ。サバナでライオンを目の前にして、自信過剰であることは命取りである。しかし現代社会でリアルに命を失うリスクというのは、極めて低くなった。そこまで極端ではなくても、多少身の丈以上のことをやって失敗しても立ち直れる社会においては、自信過剰者が得をする(力量<自信、の人)。逆に、自信のなさすぎによって起こる目に見えづらい機会損失が相対的に大きくなってきているように筆者は感じるのだ。

もちろん、自らの力量の判断はサバナにいたころも今も重要だが、理想を言えば、マイルドな自信過剰こそ「今アツい!」のでは?

そう、ふと思ったのであった。

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自信に対する考察」への1件のフィードバック

  1. ちょうど自信とはなにか、満足とはなにか、
    日本とアメリカに居る時での感じ方の違いについて
    思いを巡らしていたので、共感できるところが多々あり
    楽しめました。

    自信の起源サバナの話について、
    自信があるかないかが反射感覚に結びついたということ
    は面白いですが、なかなかピントこない例だと感じます。
    何か別の、メスの奪い合い(子孫存続)
    だったりそういう単純な部分が大きいかと、

    自信過剰であることのリスクが低くなってきている今
    なぜ、アメリカと日本での自信への考え方が
    こんなにも違うのか、
    政治、文化、教育、風土、の影響だと思いますが、
    これから両国の自信への感じ方、定義の違いが変わる事はあり得るのか?

    日本で自信過剰な若者が増えたら面白い、アレックスさんのように、
    日本人とアメリカ人のハーフ?や、国境を越えて留学等が出来る現在、
    それらが変わる事は難しいがあり得るように思う。

    国境を無視し、地球一つで考えると、うまくバランスがとれているとも思う。
    アメリカといえど自信過剰な人もいれば、そうでない人も居る
    自信過剰の人が多い国もあれば、そうでない国もある。
    もしも人類皆自信過剰であれば、地球は存続しないだろう。

    いろいろ書きましたが、一コメントとして。

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